日本は音楽教育を見直すべき

俺は大体のことは理解できるが音楽だけは全く分からない。
すげえ偉そうなこと言ってるかもしれないけど、ほんと大体のことは調べれば何となく理解できるんだよ。なのに音楽のことだけはさっぱり理解できない。

思い出すと中学の頃から音楽のことが分からなくなった。テストでは音楽史みたいなのがあるから30/100点くらいは取れてたけど、音楽理論の方だけだったら多分0点だったと思う。

俺が一番分からないのが、主音とは何か、ということだ。

主音

主音(しゅおん)は、音階の最初の音(第1音)[1]。移動ドにおいて長調ではドの音。短調ではラの音。調性のある音楽では、この音に帰着しようとする力が働く。 一般に曲の最後には主音が置かれる。しかし主音で終わらない曲も数多い。日本の民謡などは属音で終わることも多い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/主音

もうね、どういうことなのかさっぱり分からない。全く理解できないのが「調性のある音楽では、この音に帰着しようとする力が働く。」というところ。その力はどこから来るんだよ。どのくらい強いんだよ。跳ね返せないのかよ。

「一般に曲の最後には主音が置かれる。しかし主音で終わらない曲も数多い。日本の民謡などは属音で終わることも多い。」

はぁ? それって要は特に決まりはないってことだろ? じゃあこんなこと書く必要ねえじゃねえか。何なんだよ主音って。意味わかんねえよ。

■覚醒

そんな俺だが最近主音とは何か、ということを理解できそうな気がしてきている。

そのきっかけはニコ動で聞いた「暴れん坊会計士」と「ハーモニックF.C.O.H.」の2曲。

暴れん坊会計士の方は自動作曲ソフトのOrpheusで作られたもの。ハーモニックF.C.O.H.は、現場監督音声素材を使ったコード進行の例。

この2つを聞いて、多分、音楽ってのは俺が思っているよりルールが厳格なんだろうということに気付いた。人間がそれを音楽と認識できるのは、実際のところかなり限られたパターンなんじゃないだろうか。コード進行とか音楽の始まり方とかについて調べてそう思った。だからこそ自動作曲なんて芸当も可能なんだろう、と。

俺はずっと音楽は音を並べる無限のパターンの分だけ存在すると考えていた。多分それが間違いなんだ。だから音楽を形成するその枠組みを想像することができなかった。

「この曲の主音はこれ、だからこの曲は何調」みたいなことを言われても、俺は「じゃあその主音を1個上にずらしたらどうなるんだよ」ってずっと思っていた。

でも多分、そうしたらその曲は音楽ではなくなるんだろう。

ひとことで言えば「人間が心地よく感じる音のパターンは極めて限定的である」ということだ。

こういうことは音楽教育の最初に言っておくべきだと思う。もちろん俺の間違いでなければなんだけど。